山内美陶鈴・夢綺譚

アクセスカウンタ

help リーダーに追加 RSS 【村が町へそして都市になる】

<<   作成日時 : 2007/10/08 19:14   >>

トラックバック 0 / コメント 0

農民・Atnet Japanへリンク場所名をはっきり言うと色々と障りがあるので伏せておくが、そこは元々野菜畑だらけの長閑な農村地帯だった。
そこで生産された様々な種類の野菜は、ちょっとしたブランド品でもあった。
ところが世の常なのか、各農家では後継者不足となっていき、お定まりの高齢化に拍車がかかっていた。
やがて時代は正にバブル全盛に突入し、畑を売り払い村から離れる人々が続出した。
地上げされた土地は宅地化され、建売の一戸建てや瀟洒なマンションが居並び、その一方では農家が見る間に減少していった。
なし崩しのようにいつの間にか、村人が古より慣れ親しんだ鎮守の杜までが消えうせた。
HARD TIMES by BOZ SCAGGS

旧来の消防団は解散し、立派な消防署が設けられた。
住み込みでの駐在所がなくなり、要所に派出所が設置され、やがて警察署分室もでき、後にそれがこの地の警察署として独立するのである。
郵便局も簡易だったのが普通に変わり、建物も大きくリニューアルされ、ポストも増え、要所に分局も設けられた。
この村には江戸の世から続く老舗の醤油工場があるのだが、気がつけばこの工場を中心とした周りに、数件の農家が残っただけだった。
最後に残っていたのは、代を継ぎ百五十年〜二百年と、村でも最も古い歴史を持つ家々である。
完全に旧住民は少数派となり、どしどしと押寄せてくる、新参移住組の住民が多数派となってしまった。
そして醤油工場が排する或いは農家の堆肥等の臭気や集る虫が、新参の住民たちにより糾弾された。
恐らくは地上げが絡んだ行為と思われるが、旧住民たちは次第に追い詰められていき、ついには長い歴史に終止符を打ち村を去っていった。
さても新参住民によって完全に占拠された村は、ニュータウン化していくわけである。
動くGIF素材集最寄の駅までバスやマイカーを使わないといけないほど遠かったのが、町近くまで鉄道路線が延長されて駅ができ、その上で町を囲むようにしての線路も敷かれ、別の沿線とも繋がり、ちょうど町を挟む格好で、相対する場所にも駅が設けられた。
この沿線の先は後に列車事故で有名になるのだが、これを言えばどこか判ってしまうかな・・・。
長らく村人の足となっていたバス路線は撤廃され、古風な停留場も消えた。
古い物は公民館はおろか、何故か寺社仏閣でさえリニューアルされていった。
ふたつの各駅にはそれぞれ駅ビルが建ち、大手銀行やスーパー他の企業が進出してき、役所関係の事務所もできた。
また駅を中心にショッピングモール街ができ、憩いの広場と称する人工の庭園も設けられた。
駅前は一躍繁華街へと形成されていった。
大きな総合病院や小中学校が新設されるにいたっては、ニュータウンどころか一大都市に変貌を遂げようとして、ここいら一帯が野菜畑だった面影なぞ、もうどこにも残ってはいなかった。
しかしそうこうするうちにバブル景気は弾けて、いけいけムードは終焉し、守りの時代に移った。
銀行の支店がなくなったりと、企業の撤退や倒産が相次いだ。
駅ビルにもショッピングモール街にも空きが目立ち、テナント募集の看板も寒々しく、不景気の木枯しが吹き抜けた。
一時は都市として発展を遂げたかに思えたが、逆に寂れ現象が垣間見えてきたほどである。
売れ残りの住宅も多く、業者は已む無く安売りを始めた。
当然のことバブル期に住宅を購入した住民たちと、バブル後に住宅を安く手に入れた住民たちとの間に深い溝が生じた。
両者間になにかと諍いが絶えず、警察沙汰は日常茶飯事のこととなった。
そんな大人たちの醜い姿を見てか、少年少女の非行行為が絶えず、陰湿ないじめも横行した。
加えてバブル当時から暗躍していた暴力団組織同士の抗争が勃発し、繁華街では発砲事件が発生した。
互いの組織幹部を狙撃し合い、巻き添えをくった一般市民にまで死傷者を出す有様。
農村地帯だったころは、スイカ泥棒ぐらいしかいなかった長閑な村が、都市規模に肥大したことですっかり凶悪化してしまった。
その挙句暴力団の抗争事件は、議員や役人の汚職事件にまで発展していった。
長閑な農村から一大都市へと進化していく裏では、莫大な金が飛び交っている。
利権の甘い汁に群がる悪どもが、芋ずる式に摘発されていった。
こんなことで本当に村が都市として成長したと言えるのか、甚だ疑問である。

MY TIME by BOZ SCAGGS

さて一方話は遡って、最後まで残っていた旧村人たちはと言えば。
新参住民から出たクレームに対して、バーベキューパーティーと言うか、寄り合い酒と言うべきかをやりながら話し合った。
醤油工場主は経営も楽ではないし、山の伏流水を汲んで使っていたのだが、自然破壊の無節操な開発により汚染されていきそれも難しくなって、水が変われば現状の味を維持するのが困難だと、廃業を真剣に考えていた。
他の農家の人たちも、これだけ文句を言われたのではやりきれないと、もう野菜作りは終わりにしようと思っていた。
だが話し合っているうちに、互いに本音としては醤油や野菜作りを続けたいのだと知った。
そして皆で一緒の所に移り、もう一度やり直そうじゃないかと結論したのだ。
そのリーダー格として醤油工場主が選ばれ、醤油工場で働いている従業員たちも運命を共にすることになった。
移り先を不動産業者に相談したら、業者は待ってましたとばかりに適地探しに奔走した。
醤油工場を建てたり、野菜畑を耕したりできるような長閑な里村。
バブリーにも不動産業者はバスを仕立てて、醤油工場主たちを物件探しへと案内した。
その中の一箇所で、移住してくることについて、過疎化していこうとする村に新たな仲間が増えることは、嘉すべきことだと言ってくれる所があった。
空き家もあるし休眠中の畑もあり、野菜作りには協力すると言ってくれ、醤油工場設置については地の産業が新たにできるとかえって喜んだ。
せっかく村を挙げて歓迎するとまで言ってくれているのだ、これを逃す手はないと、醤油工場主たちは終の棲家として、移住先をこの村に決めたのだった。
幸いにしてこの地には、豊かな湧き水が湧いており、田畑にも使っているほどだった。
そんなことで、百五十年〜二百年の歴史を打ち捨て、新たなる歴史を切り拓いていくこととなった。
職人・Atnet Japanへリンク引越しについては、不動産業者が全面的に協力してくれ、必要な物は余すことなく運ばれた。
大事な醤油醸造用の樽や、はたまた長年野菜畑で育んだ土までもが、難なく運ばれていった。
受け入れ側の村でも協力を惜しまず、醤油工場が新設されるまでは、役場の納屋で樽等を預かってくれたし、土は大切に筵等で覆い保護してくれた。
バブル期の最中にあって、宅地商業地の土地を売却し、辺鄙な農地を購入したので、売却の益が結構出て余裕もできた。
住む家の補修等が完了するまでは、仮住まいで共同生活を送り、まるでその中で醤油作り班と野菜作り班とに分かれているみたいになっていった。
LOWDOWN by BOZ SCAGGS

醤油作り班は工場が新設するまで、別の場所を借りて、地の湧き水を使った醤油作りの研究をじっくりやった。
一方の野菜作り班は村人の協力を得て、休眠していた畑をおこし、運んできた土と混ぜながら、これまたじっくり畑作りができた。
やがてそれぞれの棲家が立派に設えられても、互いに協力し合い、共同生活的な習慣は尚も続き現在にいたる。
先住の村人たちに訊かなければならないことが山ほどあり、交流も怠りなく積極的にやっていった。
そして新醤油工場が完成し、本格的な醤油作りが再開された。
今度の工場は排気排水についても十分配慮され、臭気の流出についてはかなり抑えられた。
工場主としては、先住民との軋轢を極力避けたかったのだ。
何度かの試行錯誤が繰り返えされ、ようやく納得いく醤油ができた。
味は以前にも増してこくがあり、それでいてまろやかだった。
良質な湧き水の恩恵とも言えるが、醤油職人としての意地もあった。
本来が老舗料亭で重宝されていた、上質の丸大豆を原料とする上等の醤油である、半端な品では売り物としては出せない。
動くGIF素材集醤油班が第一号の醤油を仕上げる間に、野菜班は次々と野菜を作り、こちらも売り物にできる品を生産するようになっていた。
ここの地の特産品にもチャレンジし、既に成功していた。
根っから野菜作りが好きだったが、先住村人たちの協力があってこそ、ここまでできたのだ。
そんなわけで、収穫した野菜と醤油を味見してもらうため、先住村人たちを招待して、収穫祭としてのバーベキューパーティーを催した。
これには村長や村の重鎮たちも参加してきて、大盛況となった。
村を挙げて歓迎するとの表面上での奇麗事ばかりではない、新参の移住者を快く思っていなかった排他的な人間も少なからずいたのだ。
そんな人たちも参加してくれ、これでようやくなんとか村の一員として認められた日でもあった。
醤油工場では副産物のもろ味を、少量ながら参加者皆に配った。
以前の村で慣例としやっていたことだが、それが様々な事情で長い間途切れていた。
この醸造前のもろ味は、製造工程上で醤油の味の重要な決め手となる。
売り物として世に出すことはしないが、付近の住民への感謝の気持ちを込めて配っていたのだ。
この日より再開されることとなった。
そしてこの収穫祭は慣例化され、数年後には村挙げての祭りに昇格していくことになる。
しかしこの時の収穫祭は、別件で取材中の某ローカルテレビ局のスタッフが偶然に居合わせることとなり、せっかくだからと収録された。
大酒盛りとなった模様が、後日バラエティー番組で流され、これがとんでもない所に波及した。
あの都市化した地域にも放送され、見ていたひとりの男から、醤油工場や畑がまだあった時に、その臭い等に悩まされたので、自分にも醤油やもろ味や野菜を送れと言ってきたのだ。
その権利は十分あるとしたが、引き払った場所についてはいっさい関係がない地域のイベントとし、醤油工場主たちは断った。
そこまで引き取りにいってやるから旅費を出せとも言ってきたが、これは完全に無視した。
それなら臭気被害に対する訴訟を起こすと今度は言ってきたが、これが村中に伝わり、村として戦う姿勢を示した。
この男は醤油工場や旧農家を追い出した、かの新参住民たちの中心的人物だった。
結果から言うと、結局その男が訴訟することはできなかった。
その男はバブル全盛時に高い住宅を買った人間で、バブル後に安く住宅を買った人間に対し、上納金を払うか出ていくかと迫っていた。
これが恐喝行為となり、更に駅前のショッピングモール街にある数店にも嫌がらせをして、威力業務妨害となり、二つの罪でとうとう逮捕された。
法廷で裁判官等を罵倒する等、反省の色もまったく見せず罪の上塗りをし、挙句最高裁まで持ち込もうとしたが、門前払いされ現在服役中である。
愚かな話である、その男はさるちゃんとした会社の役員を務めていたのだが、当然解任された。
会社のイメージを著しく汚したと、損害賠償を求めての民事訴訟まで起こされた。
醤油工場主たちを訴えるどころではもうなくなった。
残された家族は、近所の冷たい目に晒され堪らず出ていき、高い金で買った家は現在誰も住んではいない。
この男のやったことで、誰ひとり幸せにはなっていないのだ。
そんな馬鹿な男とは拘らず、醤油工場では従来からの得意先である料亭等に工場主自ら出向き、無料で新作の醤油を配布し、味見をしてもらい好評を得ることに成功した。
それに実はこの村は、名勝として名高い観光地に割りに近い場所にあるのだ。
そのせいか近くに駅もあり、交通の便は以前住んでいたころのあの村より随分とよい。
その観光地の土産物店に、地ブランドの醤油として置いてもらえることにもなった。
加えてテレビで放送されたことで、問い合わせが殺到したので、地農産物をも併せてネットでの販売を開始することにした。
村興し事業として、現在農協とタイアップでの、ネット販売部門法人化が検討されている。
ところで話は変わるが、定年でリタイアしたら晴耕雨読と洒落ようと、熟年世代の都会から田舎へのリターン組が昨今増えてきている。
しかし実際の野良仕事は、晴耕雨読なんぞと暢気なものではない。
そこで体験農業が流行り出し、この村でも村興しの一端とばかりに、レンタル農地として畑を部分的に貸し、野菜作りの体験をしてもらうことにした。
意外にも盛況で長期間農家に泊り込んでの、本格的な農業体験も希望する人までいる。
村役場ではトラブルが起こらないように、様々なことに対処する担当課を設け、農家や醤油工場での体験的なアルバイトも斡旋するようになった。
無料で畑の一角を借り受け、自分の都合がつく日に通ってきては、村人たちの手ほどき受けながら野良仕事に励む者、村に住み込んで本気で農業と向き合おうとする者、或いは醤油工場で体験的に勤める者と、色んな人が村にやってくるようになった。
そんな中この村では、奇妙な現象が発生し始めていた。
都会での競争に敗れ心を病んだ若者が、この村での農作業や醤油作りに従事するようになった。
そんな都会から逃れてきた若者は、この村では次第に増えつつあり、数少なかった地元の若者たちを中心とする青年団を形成しつつある。
彼らは村人たちには従順であり、懸命にこの村の住民になろうとし、やがて村興しの原動力になっていくのであった。

一方では大都市化していった村、その一方では頑固に農村として生きようとする村。
各々の価値観での見解があり、いずれが正しいとは言い切れない。
しかし確実に将来人類にやってくる資源不足と食糧不足は、自ずとなにが正しいかを物語っているようでもある。
権利の主張も時には必要だが、義務として地域社会での自分の立場や役割について、真剣に考える時期にきたと私は思う。

画像

設定テーマ

関連テーマ 一覧

月別リンク

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
URL(任意)
本 文